
こんにちは、BONDs編集部のみつぼりです。
第二海堡のトライアルツアーに参加した廃墟好きの私ですが、ツアーを通じて他の砲台跡にも興味を持ちました。
前回は横須賀市の観音崎に行ってきましたが、今回は観音崎のツアーでガイドさんにおすすめいただいた、千代ヶ崎についてご紹介します。
千代ヶ崎も観音崎と同じ横須賀市で、海堡と観音崎との位置はこんな感じです。
千代ヶ崎砲台跡
観音崎は個々で造られた砲台が点在していましたが、千代ヶ崎はひとつの要塞として造られています。そのため、写真の見映えもかなりいいです!特に、地上から見る砲台跡と、地下の倉庫や弾薬庫などの掩蔽部(えんぺいぶ)では景色が全然違います。また写真も撮りまくってきたので、ご覧ください。
まず、簡単に千代ヶ崎砲台の歴史をご説明します。
東京湾要塞のひとつとして、千代ヶ崎砲台は明治25(1882)年着工、明治28(1885)年に竣工しました。
砲台は関東大震災以降も残り、終戦まであったようです。
戦後は海上自衛隊が使用しており、ずっと一般の人は入れない状態となっていました。その時に大きな砲座の穴は埋められましたが、軍事遺跡としては日本で初めて国史跡に指定された2015年から発掘されました。現在は地上から3つの大きな砲座を見ることができます。
全体的に完成度が高く、遺構がきれいに遺っているので、いろいろ調査中だそうです。
通常は立ち入り禁止となっており、見学会などでしか入れませんのでご注意ください。また、遺構の一部は観光農園の敷地にもなっていますので、自由行動も控えてくださいね。
それでは、ツアーで見た千代ヶ崎砲台跡をご紹介します!
・柵門
まず、現地へは京急線「浦賀」駅か、「京急久里浜」駅からバスで行きます。最寄りのバス停を降りると……心が挫けそうになるほどの旧軍道の坂道が待っています……。必死に登り終えると、石に囲まれた門が見えました。
見学会の日は門が開いていますが、普段は施錠されています。
門をくぐった正面に堀井戸がありました。水道設備が整っていなかったので、雨水を利用して生活用水にしていたようです。
井戸の周りは高い土塁になっていて、敵が入ってきても敷地が見渡せないようになっています。
土塁に囲まれたゆるいカーブの道だけでも、要塞感があります!
・上から見た砲座
見学ルートは、地上から砲座→地下の掩蔽部と、地下の掩蔽部→地上から砲座の2班に分かれての見学でした。
私は地下→地上ルートでしたが、全体が分かるように地上からご紹介します。
柵門から少し坂を上るとすぐに見えました。巨大な穴!!
砲座も大きいですが、そこからさらに地上に向けて広がっているため、足を滑らせると大変なことになりそうです……。人の大きさは、だいたい砲座のブロック塀より少し低い程度です。
この巨大な穴が縦並びで3つもあります。
円状の台座に大砲が設置されていました。大砲は榴弾砲(りゅうだんほう)という、上空に向かって撃ち、戦艦の上部(甲板)を攻撃するものでした。敵から砲台の位置が分からないよう、こんなに深く砲座が掘られています。
縦に3つ並んでいるため、当時は砲座間を行き来するための通路もありましたが、現在は塞がれています。
・観測所
榴弾砲は敵から砲台が見えないように設置されていた、と書きましたが、同様に操縦者からも見えないため、自分で狙って撃つことができません。そのため、敵の位置を確認し、どの方向にどれだけの距離で撃てばいいか観測し、計算するための施設がありました。それが観測所です。
コンクリートが丸くくり抜かれてた上部に、元は鉄製の屋根がついていたようです。ですが、戦後の物資不足により鉄が盗まれてしまい、明治時代の要塞からも鉄などの金属がなくなってしまいました。現在屋根まで残っている観測所は、長崎県の佐世保要塞 丸出山観測所跡ぐらいだそうです。
広さもあまりなく、屋根も低そうなので、あまり居心地はよくなさそうです……。中央の台座の上に、測遠機があったようです。
中心あたりの床に、丸い穴が空いています。こちらは伝声管といって、計算の結果や情報を砲台や地下の付属室へ声で伝えていました。
試しに穴からしゃべってみましたが、離れた場所でもちゃんとお互いに声が聞こえました!
今は穴が空いているだけですが、当時は話しやすいように管があったと考えられています。
地下にある付属室の中は、いい感じに瓦礫があり、廃虚感が凄まじかったです!天井に伝声管の穴がありました。先ほどの観測所とつながっています。
佐世保要塞 丸出山観測所跡 ながさき旅ネットより
・露天塁道と隧道
続いて、地下部分をご紹介していきます。
柵門から、ゆるくカーブした道を進むと石とレンガのアーチが見えてきます。どうですか、この別世界な風景!街灯や照明もない、絶妙な廃墟感です……!
ちなみに、通路の両脇は水路となっていて、生活用水と排水用で分かれていたそうです。この仕組みは他の要塞では見られないため、建築技術が進歩していたと考えられています。
塁道を進むと、倉庫や井戸がありました。
・弾薬庫
弾薬庫は塁道から奥まったところにありました。
弾薬庫への通路は広くなく、真っ暗なため、探検してる感がすごかったです!一人だとビビって腰抜かします!
場所は砲座をつなぐ通路の真下です。観音崎と同じように、地下の弾薬庫から揚弾井(ようだんせい)を使って地上へ砲弾を引き揚げます。揚弾井はひとつの弾薬庫に2つありました。
砲台に続く階段を上ると、地上の引き揚げ口があります。
・下から見た砲座
弾薬庫から階段を上り、地上へ行きます。揚弾井までは真っ暗ですが、砲座は天井がないため急に明るくなります。
先ほど上からご紹介した砲座は、その場から見てもやっぱり大きかったです!
ブロック塀が2m前後なので、どれぐらいの深さか分かりますでしょうか!
壁の周りのくぼみは、砲弾を置いておく弾室です。職員の方が、当時の砲弾の大きさが分かるようにスケールを置いてくれました。外側はケースで、中身が砲弾です。
弾室の角に、観測所でご紹介した伝声管もありました。
砲座から地上へは、階段があります。当時はブロック塀まで別の階段が設置されていたようです。
こぼれ写真
ここからは、本文で紹介しきれなかった写真をご紹介します。
感想まとめ
以上が千代ヶ崎砲台跡のご紹介でした!
本当は大正時代に造られた「砲塔砲台跡」も見学ができたのですが、お隣の観光農園さんの都合で見学ができませんでした……。また見学機会がありましたらリベンジしてみたいと思います!
第二海堡、猿島、観音崎と見てきましたが、要塞として計画に造られていて迫力も段違いでした。
こんな場所があるんだ、と少しでも知っていただくきっかけになれば嬉しいです。
見学会は横須賀市が開催していますので、気になった方はホームページをチェックしてみてください!
みつぼり

〈前回の記事はコチラ〉
廃墟好きが行く!明治時代の砲台遺構・横須賀市 観音崎