東京湾の人工島・第二海堡トライアルツアー参加レポート

東京湾の人工島・第二海堡トライアルツアー参加レポート

こんにちは、BONDs編集部みつぼりです。

廃墟の写真は好きだけど、実際に行ってみた廃墟スポットは特にない程度の廃墟好きの私ですが、ある日、ツアー会社のメルマガで、不思議なトライアルツアーを見つけました。

 

突然ですが、東京湾に無人の人工島があるのをご存知でしょうか?

 

時は明治───外国船の往来が増える時代。防衛意識が高まった明治政府は、首都東京を守るために東京湾口部に要塞を造ることを決めました。

神奈川の観音崎、猿島、千葉の富津岬、そして海上に3つの要塞・海堡(かいほう)です。

海堡とは、海に人工的に島を造り、砲台を配置した海上要塞のことです。

東京湾要塞概念図
東京湾要塞概念図

ここを選んだ理由は、東京湾の入口近くで、最も大陸同士の距離が近いことです。

そして、当時の砲台の飛距離から計算し、海上にも3箇所の人工島を造ったのでした。これらの要塞を強化することで、東京に攻めてくる海外の船を撃退しようと考えたのです。

その3つの人工島のひとつが、第二海堡(だいにかいほう)です。

 

崩落の危険があるため、2005年から一般の方の上陸は禁止されている島ですが、観光資源として利用するために2018年9月からトライアルツアーが開始されました。

前置きが長くなりましたが、今回はそのトライアルツアーに参加したレポートをお届けしたいと思います!

第二海堡とは?

タウンニュース」より

まず、第二海堡の歴史について、サクッとご説明します。

 

簡単に「海上に要塞つくろう!」と言っても、明治時代にクレーンなどの重機はなく、すべて人力のため、明治最大・最難の土木工事となったそうです。

明治22(1889)年に着工、竣工は大正3(1914)年、工費は現在の金額に換算すると約65億円、そして約50万人の人夫により完成しました。

面積は41,300㎡。障害物なく歩けば30分ほどで一周できそうな広さです。

 

ちなみに、第二海堡から第一海堡と第三海堡が目視できる距離にありますが、第三海堡の完成2年後、大正12(1923)年の関東大震災により海堡は大きな被害を受けました。

特に水深の深い位置に造られた第三海堡の損害は激しく、機能できなくなってしまったようです……。また、浦賀水道航路という東京へ向かう船の道の近くのため、崩落したがれきが航路の邪魔にならないよう現在は撤去されています。

その後、砲台の射撃距離・精度が上がり、また戦い方が戦艦から戦闘機になったため、被災した海堡を修復して活用する必要がなく、大正13(1924)年から砲台は撤去されはじめました。

 

ところが、対米関係が緊迫してきた昭和16(1941)年、今度は防空砲台を設置し、要塞を強化します。ですが、実戦で砲台を活用することなく戦争は終わりました。

 

終戦後、海堡を含む砲台や施設は連合軍の指示で全て破壊されました。そのため、廃墟という廃墟はなく、なんとなく名残がある程度です。

そして、現在は海上保安庁の気象観測所、消火訓練施設があり、建設当初と違った形で役に立っています。

ツアーで見た第二海堡

では、ここから私がツアーで撮りまくった写真をお送りします。

※途中、撮影に夢中で解説を聞き取れていない箇所が多々あります。間違っていたりしたらすみません…。

 

まず、横須賀中央駅に集合し、歩いて三笠桟橋へ向かいます。
2階建て船のいい位置に陣取りました!

20分ほど進むと、遠くにうっすら見えて来ます!

奥に見えるビルなどの建物は千葉県です。

浦賀水道航路を横断するため、大きな船が何隻も往来していました。


浦賀水道航路を越えると、近くに見えて来ました!


桟橋へ回り込みます。

周りの壁は、崩壊を防ぐために新しく造られた護岸です。

 

当初使われていた桟橋だそうです。落ちそうで怖い……!

でも、崩れ具合が廃墟好きにはたまりません!

 

ちゃんと造られた桟橋に船を停め、いよいよ上陸です!


上陸!すると目の前に不思議な建物が……。(奥は海上災害防止センターの建物です)

こちらは倉庫と予想されています。

構造は、レンガ、コンクリート、アスファルト、モルタルなどで、当時の最新技術が詰まったものだそうです。

 

近くで見るとこんな感じ。海の近くにありながら、100年以上たっても崩れずにいます。


桟橋から少し上がったところにある、長いレンガの壁。こちらは掩蔽壕(えんぺいごう)と言って、防空壕のように敵の攻撃から身を守るためのものです。

入口は、ほとんど地面に埋もれてしまいました。

 

このくすんだ色のレンガは「焼きすぎレンガ」と言って、通常のレンガより高温で焼き続けることで強度を増したものです。掩蔽壕にはこのレンガが敷き詰められ、自然災害にも耐えて、今でもきれいに遺っています。レンガはイギリス積みと呼ばれる積み方だそうです。

ところどころについている、金属のフックは輸入物だそうです。

 

さらに上へ登ると、灯台があります。
反対側へ下って見ると、大きく文字がありました。「NO.2」は「第二海堡」の意味です。

こちらの電力はソーラーパネルから確保しているようです。

 

灯台の周りには大きな丸いコンクリートの構造物がいくつもあります。これらはすべて砲台の台座だそうです。

 

西側の先端には、広い範囲にがれきがあります。

ここは15cmカノン砲跡で、地下に弾薬を保管していたそうです。ちなみに、当時は当て字で「加農砲」と表記していました。

 

そして、この近辺に桜マークの入ったレンガが……。

こちらはレンガの製造元を表すマークで、桜は小菅監獄(現:東京拘置所)で造られたもの。当時は西南戦争で負けた、薩摩藩の武士たちが造ったものだそうです。


高台にある、謎の建造物。こちらは防空指揮所だったと予測されています。

ここは、有名俳優・松●優作氏もロケに使用されたそうです!


第一海堡も見えました!

 

島には不思議な植物が生えていますが、日本軍が持ち込んだのは、食用にサボテンとアロエだったと予測されています。他は風や鳥が運んできて、増えたのではと考えられています。

おまけ:猿島

猿島

ちょこっとおまけで、次に立ち寄った猿島についてもご紹介します。

 

こちらも冒頭ご説明しました、東京湾要塞のひとつです。猿島は人工島ではなく、東京湾唯一の自然島で、連絡船を使えば誰でも上陸できます。(無人島のため、宿泊はできません)

名前の「猿島」は、日蓮上人と猿との伝説からついたと言われています。猿はいません。

 

現在は釣りやバーベキューで賑わう島ですが、こちらにも要塞の名残が遺っています。

島全体を要塞として使用していたため、曲がり角が多く、先が見通せない構造となっています。

こちらも実際に戦場となったことはありませんが、終戦後、連合軍が上陸した際、角に日本兵が隠れているのではと、威嚇射撃をした跡が遺っていました。

ブロックがボコボコになり、変色しています…!

 

他にも砲台跡はもちろん、兵舎や弾薬庫も遺っていて、ガイドさんと一緒だと中も見学させてもらえます。

また、最近ではレンガのトンネルがインスタ映えスポットとしても有名になっているそうです。

感想まとめ

以上が第二海堡のトライアルツアーのご報告です。写真はあと20倍近く撮っていますが、多過ぎるのでこの辺にしておきます…。

今回ツアーで歩いた場所は、崩壊しそうな危険地帯には立ち寄らず、ちょこちょこ立ち入り禁止場所もありました。それでも砂利道だったり、大きな穴が空いていたりと足場は悪いので、注意が必要です。

 

私は近代史にはあまり興味はなかったのですが、歴史的背景を聞きながら実際に史跡を巡るのは、とてもおもしろかったです。復元や模型ではなく、当時のものが遺っている、というのも現実味を強く感じました。

資料も知る人もほとんど残っていない、謎の多い人工島……。本ツアーが開始された際には、ぜひ上陸してみてはいかがでしょうか!

 

みつぼり