【この日、なんの日?】11月25日

11/25 アンドリュー・カーネギー

こんにちは、BONDs編集部のいがらしです。

 

みなさん“カーネギー・ホール”という名前を耳にした事はあると思います。

アメリカ、ニューヨークにある有名なコンサートホールですね。

1890年に建設されて以降、チャイコフスキー、ラフマニノフ、マリア・カラスなど、偉大な音楽家達の歴史に残る数々の名演奏会の舞台となってきました。

かつては、ニューヨーク・フィルハーモーニーオーケストラも拠点とし、クラシック、ジャズ、ポップスは勿論、芸術事業や後進の教育にも熱心なホールとして知られ、音楽の殿堂と言われています。

CARNEGIE HALL より

そんな由緒正しきホールを設立した人物が、1835年11月25日生まれの“鉄鋼王”こと『アンドリュー・カーネギー』です。

アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)

アンドリュー・カーネギーは、スコットランドのダンファームリンという小さな町に生まれました。

父親は伝統的な手織りの職人、母親も靴の修理などをして働いていましたが、家計は苦しくとても貧しい暮らしでした。

当時イギリスは産業革命真っ只中。

織物産業も時代の流れに押され、手織りから力織機(りきしょっき)機械式の織機を使用した工場での大量生産へと移りつつあり、手織り職人の父親は失業の危機に陥っていました。

その為、一家は仕事を求めてアメリカに移住する事を決意します。

add7 New York より


成功の基礎

カーネギーがアメリカへと渡ったのは1848年、13歳のときでした。

一家がペンシルベニア州アレゲニー(現在のピッツバーグ)に居を定めると、彼は苦しい家計を助けようと、木綿工場でボビンボーイという女工の補助の仕事を始めます。

週給は、70 時間労働で1ドル20セント(2017年のレートに換算すると21ドルほど)。

そんな厳しい労働環境の中、学校に通うことはできませんでしたが、休みの日には地元の名士が少年たちのために貸し出していた個人図書館にある本を全て読みつくす程、勤勉な少年でした。

その後4度の転職を重ねますが、その度に様々な技術を身に付け、知性と重労働を厭わぬ忍耐力で順調に昇進していきました。

 

そして、1853年18歳の時、能力が評価されペンシルバニア鉄道に引き抜かれます。

当時鉄道会社はアメリカ初の大企業群であり、その中でもペンシルバニア鉄道は最大の企業でした。

彼はそこで幹部にまで昇格、経営と原価管理について多くを学びました。

加えて有力な財界人達ともビジネス上の信頼関係を結ぶことができ、これらの経験が後の事業に大いに役立つ事となるのです。

また、上司の勧めで借金をしながらも株を購入、様々な企業への投資を始めます。

まだ普及の少なかった寝台列車に目を付け、この会社への投資を皮切りに関連会社への再投資を重ね徐々に資金を蓄えていき、後の成功の基盤を築いたのです。

先見の明

あるとき鉄道が通る木橋が焼けて、数日にわたり鉄道が不通になります。

その時彼は思うのです。

「これからは鉄橋の時代だ」と。

当時、鉄道の橋の多くは木製でしたが、近い将来必ず鋼鉄製の橋の時代が来ると予想していたのです。

そして、1865年30歳の時、ペンシルバニア鉄道を退職。

「キーストン鉄橋会社」と「ユニオン製鉄所」を創業しました。

鉄道会社で培ったネットワークを活かし、キーストン鉄橋会社が鉄橋建造を、製鉄所がレール生産を受注。地域一帯に製鉄工場を多数建設し、数年間でビジネスは大きく成長しました。

その後、鋼鉄炉を燃焼させるための炭鉱や、完成した製品を運ぶための鉄道や船舶、鉄鋼石の加工など、鉄鋼業界全般にわたる多数の企業の支配権を獲得し、1892年、所有する会社をまとめて「カーネギー鉄鋼会社」を創設。

原材料の供給元を含めた垂直統合を成し遂げたことにより、1899年にはアメリカの鉄鋼生産の約25%を支配、当時世界で最も高い収益を出す会社にまでなるのです。

 

彼は、かつて職を失い苦労した父の姿を見て、「産業の将来性を見極める」ことがいかに大事なことなのかを幼いころから痛感していたといいます。

当時絶頂を極めていたペンシルバニア鉄道での出世コースを退き、自ら鉄鋼事業を立ち上げた理由もそこにありました。

結果、時代の流れを冷静に観察する事で全てを成功へと繋げていったのです。

慈善事業

1901年、66歳になった彼は、現在でも北米有数のメガバンクであるJ・P・モルガンが創設したUSスチール社にカーネギー鉄鋼会社を売却、事業から引退します。

 

引退後は、社会奉仕・慈善事業などに心血を注ぎました。

様々な慈善事業の中でも特に熱心だったのが、アメリカ、イギリス、他の英語圏の国々での公共図書館設置です。

貧しい幼少時代、学校に通う事の出来なかった彼は、個人図書館にあった本を読むことで多くの知識を得る事ができました。

そんな経験から、教育における本の重要性を強く感じていたのです。

故郷ダンファームリンに最初の図書館を開設すると、その後世界で2500ヶ所もの「カーネギー図書館」を開設しました。

 

<イリノイ州マコーム カーネギー図書館>

<シラキュース大学 カーネギー図書館>


wikipedia より

その他、ニューヨークの「カーネギー・ホール」、地球惑星科学や環境生態学などの研究を支援している「カーネギー財団(研究所)」など、芸術や科学分野でも施設や財団を設立しています。

また、晩年には世界平和の追求としてカーネギー国際平和基金を設立。

宗教界、学界、政界のリーダーたちでグループを結成し、戦争根絶に向けたリーダーシップを形成することを目指していましたが、ほどなく第一次世界大戦が勃発。

平和促進の努力が実らなかった事に、かなりの衝撃を受けたと言います。

 

その後、1919年8月11日、彼は83年の生涯に幕を閉じました。

事業により得た莫大な富の大半は、彼の設立した基金や慈善団体などに寄付されました。

カーネギーの教え

貧しいスコッドランドの生まれの少年から、世界有数の大富豪まで上り詰めたアンドリュー・カーネギー。

その人生をどう感じましたか?

 

引退を決意し始めていた65歳の時、彼は”The Gospel of wealth and other timely essays”(※日本語翻訳本「富の福音」)という著書を発表しています。

事業の成功に対する自らの信念や考え方をまとめ、富の築き方・富の捉え方・富の使い方といった『富の哲学』を記しました。

発刊された当時、広く実業界、政界などに大きな反響を巻き起こしましたが、100年以上たった今でも色あせることなく読み継がれる名著となっています。

因みに、あのビル・ゲイツの愛読書だそうです。

富の福音> アンドリューカーネギー (著),‎ 田中孝顕 (翻訳)

現代社会にも通じる、先を見通す目、チャンスを活かすタイミングの捉え方、逆境を乗り越える力、富だけではない彼の人生哲学に一度触れてみてはいかがでしょうか。

 

いがらし