【街情報】JR各線・浦和

【街情報】JR各線・浦和

こんにちは。編集部フクモトです。

今回は埼玉県、浦和です。

浦和といえば何を思い浮かべますか?

浦和をあまり知らない方はサッカー、という方が多いのではないかと思います。他にもウナギがおいしい街とか、教育の街とか、埼玉県庁があるとか、不動産業界ではなにかとネタが尽きないのが浦和です。 

それでは、浦和の街を覗いてみましょう。

埼玉県ナンバーワンの“住”の街

今回はまず、この表をご覧ください。

2010年~2012年と、2013年以降のそれぞれ、埼玉県内駅別の新築分譲マンション供給動向です。平均坪単価の高い順に駅を並べていますが、各期間の上位5駅をみなさんはわかりますか?

 


この表を見るだけで、最近は高額化していることが一目瞭然ですね。2010~2012年は最も高かった駅の平均坪単価は212万円でしたが、2013年以降は253万円までと、40万円以上も上昇していますし、2013年以降は上位10駅全て、坪200万円以上。

例えば75㎡のマンションを買うとすると、坪212万円ならば4800万円くらいですが、坪253万円になると5700万円もしてしまいます。1000万円近くも変わってくる、という話です。

とはいえ、東京23区内は坪400万円、500万円というのがざらになってきていますから、それに比べれば割安感はあるんですけどね。

 

では、先ほどの表の答えを見てみましょう。

 


いかがですか?当たっていましたか?

 

意外にも浦和は以前はトップではなかったんですね。北与野・中浦和は供給戸数がかなり少ないので実質は浦和が2番目という見方もできるでしょうが、それが今では圧倒的な高額エリアになっています。

もう一つ注目したいのが平均面積です。2013年以降の浦和は平均面積が74㎡あります。

一般的な不動産セオリーでは、坪単価が上がれば面積は狭くなる。価格が上がり過ぎないように調節していくのですが、浦和は坪単価は上がっているのに面積は狭くしていない。居住性はしっかり確保していくことが浦和でのソリューションの一つなのです。

また、平均価格は5000万円台後半ですが、東京から見ればまだ安い。そして広い。本当は東京23区内に住みたいけど買えなくなって郊外で探す、という人も増えている、つまり広域から購入者が集まることになりますから、ある程度は価格を伸ばしても需要があるという構図も考えられます。

浦和という価値

埼玉県浦和区は、2003年に政令指定都市になる前は「浦和市」でした。それ以前は「浦和町」、明治初期には「浦和県」と呼ばれていました。それ以前を遡ると、中山道浦和宿として宿場の本陣があったり、徳川家が鷹狩を行っていた場所でもあり、歴史的にも非常に有名な街でもあります。

旧「浦和町」は、現在の浦和区岸町・東岸町・高砂・東高砂町・仲町・東仲町・常盤が旧浦和町にあたるのですが、明治22年の町村制施行時には、浦和界隈ではここだけが町、それ以外は村でしたから、もともと宿場町としての機能があった浦和町には県庁や裁判所、学校改正局(埼玉県師範学校の前身)、浦和警察署などが置かれ、行政・人口・商工業の集積といった都市的機能の要件が備えられた中心的地域であったことが解ります。

分譲マンションは立地が価格や売行きを左右する大きな要素になります。その街の中心エリアとか、生活利便性が高いとか、駅から近いとか、日当たりが良いとか、眺望が良いとか。都心の一部では、かつての大名屋敷があった場所です、とか有名な建造物の跡地です、ということもよくありますね。

旧浦和町に住むということは、埼玉県の中心に住むということでもあり、時にはそれが大きな価値付けをすることもあります。

今でこそ住宅の選び方は多様化してきて、住所にこだわらない人も増えてきてはいますが、過去からの街の実績によって地価も変わってくるので、旧浦和町エリアは地価が高く、自動的に住宅価格も高くなり、旧浦和町=高額エリア、という位置づけがなされるのです。

浦和画家と教育の街

大正時代頃から浦和界隈は良好な郊外住宅地や別荘地としての認識があったのですが、1923年の関東大震災以降、被災した東京から多くの富裕層や文化人が移住したと言われています。中でも画家が多かったことで、「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が生まれるほどの文化エリアになりました。

また浦和には、明治6年に学校改正局、大正10年に旧制浦和高等学校が開設されます。これらは合併して現在の埼玉大学になるのですが、旧制浦和高等学校は当時、東京帝国大学への進学率が高かったそうで、そのことも教育に熱心な富裕層がこの街へ集まる理由となったようです。

旧制浦和高等学校の跡地は現在、県立北浦和公園になっており、公園の一画に学校の正門が保存されています。また学校改正局が前身となった埼玉県師範学校は本館「鳳翔閣」の一部が復元され、さいたま市立浦和博物館として使われています。

 

旧制浦和高等学校正門

どちらもブログ「なお爺のひとり言」より

鳳翔閣(現さいたま市立浦和博物館)

 

ちなみにこの鳳翔閣、浦和レッズのエンブレムにも使われているんです。

 

上段の建物、これが鳳翔閣です。埼玉師範学校は埼玉サッカーの発祥と言われているようです。

 

浦和駅周辺では最近は駅前再開発が行われるなど、都市化が進みながらもこのような歴史文化がしっかりと残されている街だと、街を歩いていると感じます。浦和にはまだまだ魅力のスポットはたくさんありますし、周りには北浦和、南浦和、武蔵浦和、中浦和といった駅があり、それぞれの駅にそれぞれの特徴があります。また機会がある時に浦和のさらなる魅力をお伝えいたします。

 

フクモト

 

※グラフは(株)DGコミュニケーションズ調べ